読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

about a manner

ちょっと何言ってるかよくわかりません

プラットフォームとしてのハラジュク - Think of Fashion「原宿史」の感想

ファッション批評 視覚文化



 

私にとって原宿はファッションの原-風景そのものだ。

多感な高校生の時分、尾崎豊に憧れて「脱北」し、逃れ逃れ辿りたいたのが盛夏の原宿。そこでそれまで見たこともないオシャレなお兄さんお姉さんたちに遭遇、ストリートファッションの熱気に一瞬で、飲まれた。ちょうどエクストリームファッションが全盛期で、女の子がボーイズカジュアルしたり、YSLのHediのヤバさに一部の人が気づいていた頃。とにかくドキドキしたことだけを今でも鮮明に覚えている。全てが新しく、そして美しかった。

  

そんなセンチメンタルな思い出を胸に秘め、6/27にcoromozaで行われた「think of fashion - 原宿史」のトークショー?に参加しました。

凡庸な個人的体験を差し引いても、21世紀の東京を生きる人間として、原宿がストリートファッションの場として機能した理由と、原宿が生み出すファッションの将来的な可能性を見つけたかった。

 

 

------------------------------

トークショーは二部構成。

一部は渡辺明日香氏と三田知実氏による原宿の歴史の概観。内容は渡辺氏の『ストリートファッション論』をベースに、2010年以降の定点観測から得られた情報が更新されたもの。そして三田氏の都市研究的観点からの原宿の歴史への言及。同書は膨大で貴重なスナップ写真を含む情報が丹念に纏められている、いわばストリートファッションの教科書です。

 

 

ストリートファッション論

ストリートファッション論

 

 

 

示唆的な部分としては、まず原宿という地名は行政上存在しないこと。これは原宿の特異性とその可能性を考える上で、とてもラディカルなポイントだと思う。都市の実際の広がりが規定されないということは、言い換えれば<ハラジュク>の領域は個人によって異なるということである。大げさに言えば、そこを訪れる人の束がハラジュクと漠然と呼ばれているということになる。

第二部に登壇された中村のんさんが2014年に企画された『70's 原風景 原宿』展では、昔の原宿の地図をマジックで描いた模造紙が壁に貼ってあり、鑑賞者が思い出を書き込んでいくことができた。渋谷方面はもちろん、千駄ヶ谷北参道の近くから、青山三丁目方面までかつてあったバーの名前や、そこでのごくごくプライベートな思い出の書き込みがあった覚えがある。

 

 

ひとつの街と呼ぶにはあまりに広域過ぎる。そして、街の広さと比例して、ファッションは多様なジャンルの「ちゃんぽん」状態であったはずだ。

 

原宿がストリートファッションの中心地になった要因として、戦後アメリカ駐留軍による白人文化の移植がしばしば指摘されるが、それは原宿周辺に限ったことではない。元来人の往来の多い宿場町であったこと、見世物文化と親和性のある神社を背景に持つこと。そしていささか想像的すぎるが、今述べたように、<原宿>というラベルの下に多様なジャンルを集約できた最大の理由は、都市とその名前が一対一で対応していないことに由来するのではないかと考えている。ちょうどモードの名の元にあるゆるジャンルを回収/消費してきたように。

原宿は謂わば架空のマチであり、前回の話を引き継げば、そこに集う人々のキャラ性を引き立てることが「許される」ような、歴史的なコンテクストを持つプラットフォームなのだ。 

 

 

  

-------------------------------

示唆に富む二つ目のポイントは、上記にやや関係していることなのだが、この半世紀の間に原宿は「橋」によってその風景が変容しているということだ。

学魔・高山宏は日本最初の人間記号学を風来山人(平賀源内)の『根奈志草』にみたが、実際「橋」は都市を生きるフラヌールには絶好の観察場なのである。観察者によって未知なる人間の蝟集(マッス)は外観上で部類され、そのひとつひとつに対して鏡合わせのように記号をインサートin-sertされる。匿名の集団は内外分かたぬキャラクターcharacterとして受肉in-carnationされる。こうしてカーニヴァルcarnival的世界は効率的にコントロールされる世界像となり、後は「教養」という名の階層化が起こるだけだ。 

 

 

 

 

何が言いたいかと言うと、橋はファッション批評的に言うところの、見る/見られる関係が成立する空間の導入口として機能する、延々と往来する人間の循環circulationの象徴だったこと。

そう考えると、原宿史の隆盛と橋の関係が実に興味深い。

恥ずかしい話、1964年の東京五輪の際にキャットストリートが暗渠化された川の上に架けられたということをはじめて知った。これを正確に「橋」と呼んでいいのかは微妙なところではあるが・・・。「往来が集中するが、その方向性は大きく規定される」という橋の機能が 、ストリートに代替されたものくらいに理解した。ショー空間も類似した構造かと思う。

 

 

f:id:btn1111:20150705132202j:plain

葛飾北斎富嶽三十六景」より「穏田の水車」

穏田川 - Wikipedia

旧渋谷川遊歩道路 - Wikipedia

 

 

Kawaiiカルチャー代表、ゴスロリも神宮橋の上ではじまった、と言えなくもない。一昔前はゴスロリ、xxロリ、単にコスプレしている人とそれを囲む人々、それから明治神宮に向かう外国人でゴッタ替えしていた記憶がある。

坪内祐三の『靖国』によると、明治時代に近代化する以前、神社は大衆の想像力が開花する、見世物小屋のような場であったそうだ。明治神宮1920年大正9年)に造営ということで、この説の妥当性はきっちり検討する必要があるだろうが、軽スタ的には「見世物的世界」を社外に切り離した結果、神宮橋→表参道→キャットストリートと大衆的想像力が迫害/移動していったのではないか、と邪推したくなる。

 

 

靖国 (新潮文庫)

靖国 (新潮文庫)

 

 

 

トークショーを通じて、何度も原宿文化の魅力が失われた原因はホコ天の廃止にあるという話が何度もあがったが、視覚文化論的観点から言えば、これは間違いない。だが悲しいことに、三田知実氏曰く、今後は東京オリンピックを控え、都市景観の観点から法的な規制が一層きつくなることが予想されるそう。もちろん単独の要因だけでどうやこうやという話ではないだろうが、絶滅危惧になってしまった微笑ましきド派手なファッションヴィクティムのことを思い出すと、原宿のストリートファッションの磁場としての機能は益々低下していくことになるのかもしれない。

余談だが、今年の靖国神社「みたままつり」は屋台の出店が中止になってしまった。止むに止まれるご判断であったと思われるが、やはり淋しい。そして中止の理由が、原宿のホコ天廃止とほとんど同じ理由であることに幾許の危機感。

ストリートカルチャーのWEBへの差し替え、具体的にはストリートスナップサイトの流行もあったけど、いまいちピンと来ないんだよね。以前はよくサイトの巡回をしたけど、最近は開いてもいないもんなあ。 

 

 

 ------------------------------

二部は引き続き渡辺氏、三田氏に加え、ギャルソンのショー音楽を長年にわたって選曲されてきた桑原茂一氏、スタイリストの中村のん氏、ストリート編集局の青木正一氏という超豪華ラインナップ。それぞれが原宿の街並みとその文化を個人的体験に引きつけてお話してくださり、その後に質疑応答という形。

桑原氏、中村氏ははとにかくな語り口がパワフルで、当時の街の熱気を彷彿させられた。一方で、少し世代が下の青木氏はとてもサッパリした、客観性な感想を述べられたのが印象的だった。世代の違いというよりは、被写体と写真家の距離感の違いなのかもしれない。

本でしか読んだことのなかった有名人の、スキャンダラスなお話が次々と出てきてとても刺激的だった。神話化されていない川久保玲の話を聞いて、却って神話的存在であることを確認したり。

総括すると、ストリートカルチャーはカウンターカルチャーであること、そして反資本主義的であること。この二点がキーになり、原宿の原-風景が構成されていったようである。人為的なものではない、ピュアな<人との関係>の堆積が予想外の波を、ムーブメントを生み出す、と。

 

中村さんの展示の来場者の多くが「あの頃よかった」と漏らしたそうだ。

当時は服のフォルムの自由度が高くなかったせいか特にカラーのセンスがえげつなくて。洗練さと大胆さが同居するようなドキッとするような着こなし、それからギラギラした表情、乱雑だけどいかにも活気のありそうな街路の写真を見て、私も同じ感想を持った。

 

ファッションに限らず、何事も決してやりやすくないこの状況を、根性論や楽観的な態度で切り抜けられるとは、正直なところ全然思わない。だがノリを欠いたファッションは味気ないことこの上ないとも思う。同時に安易でベタな「共感」ポルノにもウンザリしている。この有意義なお話をバランスよく肚に落とし込むためには、少し時間がかかりそう。

 

  

----------------------------- 

蒸し暑い中でのおよそ3時間だったが、あっという間で、完全燃焼できた感。

秋口には中村氏による『原風景 70's 原宿展』の写真集が刊行、再度展示会も開かれるそうなので、心待ちにすると共に、引き続き原宿の可能性について考えていきたい。

 

 

表参道のヤッコさん (河出文庫)

表参道のヤッコさん (河出文庫)

 

 

 

とかなんとか書いていたら、RAF SIMONSやCARVENに引き続き、LOEWEとThom Browneが悶絶なメンズコレクションを発表したので、とりあえずどう解釈されているのかを調べている。

 

私は、LOEWEはデザイナーの感覚的な親和性の問題(キャラ性、ジェンダー、その表現のシルエット、ボリューム感)で、Thome Browneは横ノリ系のノリで「とりあえずたまたまやっちまったぜ!」くらいなレベルだと思っている。

彼らはどんな要素を残して、ヨーロッパ的に昇華させているのかを細かく見たい。