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about a manner

ちょっと何言ってるかよくわかりません

ファッションと時間 - ハイデガー、宇宙、ポルノ -

ファッション批評 コレクションレビュー

(1)直線的な時間と宇宙という異-時間

今年度最も衝撃を受けたファッション関係ニュースと言えば、銀座進出を果たしたATOMOSの運営会社、テクストトレーディングカンパニーの社長・本明秀文氏がハイデガリアンだったということだ(繊研新聞、2月4日付)。

強面なオニイチャンが集うショップというイメージしかなかったので、これは本当にショッキングだった。

 

ハイデガーの未完の主著『存在と時間』では、<過去>は現在に至るまでの累積した時間の軌跡として、<未来>は現在(時間)の累積する可能性として定義されている。乱暴に言えば、時間が直線的な性質を持つものとして想定されている。

 

これが実は近代西洋的概念であったことは、文化史家ヴォルフガング・シベルブシュが『鉄道旅行の歴史』で明らかにしているとおりだ。標準時刻は鉄道網の拡大によって作られたものであること(時差を計算する必要性)、鉄道のプラットフォームを商業空間に置き換えたものが百貨店であることが指摘されている。

 

 

鉄道旅行の歴史 〈新装版〉: 19世紀における空間と時間の工業化

鉄道旅行の歴史 〈新装版〉: 19世紀における空間と時間の工業化

 

 

フレデリック・ワース以後のモードは(というか世の中全般は)、このリニアな時間概念が未だにメジャーである。

そしてこの流れに乗せようとすると、結果的に似たようなモノが出来上がってしまう(似て見えてしまう)のではないかと思う。

 

そういう訳で、極東に住む人間として「時差を内包するファッション」に今注目している。直線的な時間に依拠しつつも異なる時間を差し込む方法のひとつとして、固有の空間を凝縮して表現することが挙げられるだろう(明らかに対ヨーロッパ的な空間の場合、それはオリエンタリズムと呼ばれる)。


一貫して部屋をテーマに服の製作を続けるhatraは、服としてのクオリティの高さはもちろん、心地よい異-空間→時間がブランドのコアとして認知されている感がある。独自の流通のさせ方もブランディングを際立たせている。

 

今シーズンは「宇宙」をテーマにしたドメスティックブランドがいくつかあった。新奇性の余地のあるモチーフとして選択されたと考えることもできるが、いづれも「身近な宇宙イメージ」であることに注目している。

ブランド単体で見ると「セカイ系」的であるが、既存のファッションとの対比関係の中で見ると親しみやすくも強烈な「時差」を感じることができる。

 

ただし、ファッションを取り巻く環境を改善しようと長年に渡って具体的に活動しているベネトンをショー空間でパロディ化するという発想は倫理的に受け入れ難い。

在パリ中にテロに遭遇したという個人的体験が「ネタ化」していることに対する違和感。言い換えると必然性を感じない。パリでやる、或いは実際にこのコレクションの収益の一部が寄付される、とかならまだ納得はできるが・・・。


最近は業界紙も一定の譲歩を示しながら、リトゥンの独自路線を褒めるようになってきている。それはそれとして、この発想に対する批評が加えられていないことは少し淋しい(見つけてられていないだけかも)。

 

 

 

 

時差を作る最も簡単な方法は、中心地から離れることである。距離は時差の源泉である。

man of moodsのようにアトリエを東京以外に構えるブランドや、今治タオルのようにものづくり産地が手がけるブランドが増えてきている。異なる時間の束がどうファッション業界全体に影響していくのだろう。

 

 

 

 

 

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(2)ポルノ

即物的な欲求を満たすだけのものをアート(本物)と区別してポルノと呼ぶとすると、モードもファストファッションもおしなべてポルノであると言える。 

 

先日、知人から興味深い話を聞かせてもらった。

紀里谷和明による宇多田ヒカルのtravelingのMVは、紀里谷がニューヨーク滞在中にポルノ雑誌売場の誘視性に魅了され、延々とポルノ雑誌を見比べて発見された色彩バランスによって構成されているそうだ。確かにこのイメージは記憶に鮮明に残っているし、今見直すとエロい感じがする・・・。

 

 



 

色彩の肝は「赤と黄の対比」であるそう。

アートをファスト化したアンディ・ウォーホルの作品にも赤と黄のコンビネーションが散見される。中華街のエネルギッシュでいかがわしい感じも多分このせいなのだろう。

 

ジェレミー・スコットによるモスキーノのはじめてのコレクションにおいて、マクドナルドがパロディのネタになったことは象徴的で、その意味するところは「ファスト的なものをモードの権化であるショー空間で、しかもシャネル的なものと同時に見せることによる面白いギャップの演出」ではない(この演出方法は既視のもの)。「すべてがポルノ」という彼の極めて挑発的な宣言である。

ジェレミーの過去のコレクションを見ると、黄色の使い方が非常に上手であることに気づいた。分量が絶妙で、記憶に残りやすい。

 

fashionsnap.comにPLAYBOYがセレブのポルノファッションを非難しているという記事がアップロードされたが、ここでもやはり赤と黄のコントラストの写真が選ばれている。レッドカーペットはとてつもない大発明なのかもしれない。