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About a Manner

ファッション、その他うつくしいことについて

太宰治のモノクロ写真について

視覚文化 文学
今年は太宰治の生誕105年。記念して横浜近代文学館では今月末まで展覧会がやっているそう。
 
太宰治」という言葉を随分久しぶりに目にした。告知のポスターを駅で見かけたとき、ふと彼が写っている一枚の写真が思い出された。
私の思春期は太宰と共にあったと言っても過言でない。純文学にも写真にも疎い人間だけども、不慣れなりに思ったことを書いてみよう。
 
 
太宰も尾崎もhideもr.i.p。
 


 
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貧しい家に生まれたから小説、というか虚構の一切がかつて大嫌いだった。絵画も映画も嫌いだった。
母はよく「小説を読みなさい」と幼い私に薦めたが、専ら生物学系の本、図鑑を読んでばかりいた気がする。松居友『森の昆虫博士』というノンフィクションの北海道の環境問題を扱った小説だけは好きだった。
エゾリス、ぶさいくでかわいいのである。

 

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大学時代に似た境遇で育ったドイツ文学、イディッシュ演劇を研究する先輩に出会った(イディッシュ文化 - Wikipedia)。先輩は「見るからに文学畑」の私(当時ピンクの髪の毛、全身Ann Demeulemeesterだったが…)が純文学作品をあまり読んだことがないことを意外がった。
先輩は「いつでも小説や演劇に慰められた」。私には自分とイディッシュの運命を重ねているように思われた。

 
純文学も人並みに読んではいた。一番好きだったのが太宰治。病弱でそれなりに身長もあり、ややイケメン。悩ましげな写真写り。ステキ。感情的で扇情的な文体。身近なモチーフからの動きのある物語展開。支離滅裂な中から時折表れてしまう人間の、彼のよわさ。可憐さ。ハマった。貧富の差を除けば、時代を超えた精神的な双生児のような気がした(思春期の文学受容あるある)。
 
 

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カラバッジォナルキッソス」(1598-99)
 
彼との本格的な出会いはやや遅かった。スタイリストの伊賀大介がどこかで『女生徒』を薦めていたので、その日に文庫本を買って読んだ。はじめて「小説は素敵だな」と思った。興奮を抑えられぬまま夜を迎えて、自分の顔を覆ったまま朝を迎えた。17歳の涼しい秋だった。
 
多分私の日本語の書き方、いや物事の考え方、手つきに太宰は大きな影響を及ぼしているだろう。句読点の多さ、オノマトペの多用、脱線しがち、好かない言葉だが「挑発」的な物言い。
 
 
『女生徒』を読んだあとは手当たり次第に彼や彼と交友のあった所謂無頼派の作家の著作を読み耽った。
 
これからどう生きるのかという哲学的な懐疑へのアンサーをみな懸命に模索していた。物語なんか多分どうでもよかった。激動を必死で生きること、その痕跡がそのまま物語にいつかなるだろうから(ところでメール時代、電子書籍時代の<作家の展覧会>はどういう展示形式になるのだろう。手書きの原稿や手紙の代わりに、メールを出力したものを並べたりするだろうか)。
 
 
 
 
文庫本の巻末付録の解説は読んだが、その文化圏に向けられた本格的な批評は一度も読んだことがない。背表紙を触れたことすらない。実際、私は太宰治の「純」文学的な評価を知らない。
誰かの手垢がついた正当な太宰の評価に関心が全くなかった。私の中のダザイオサム。強烈なきっかけがうまれない限り、きっと太宰論は死ぬまで読まないと思う。
 

彼への興味はもっぱら精神史的な態度に基づくものだ。彼は私の目の前にいつもある精神のかたち(母型mother type)として現れた。彼はニーチェ的だった。諧謔性と運動性(「破滅に向かって」)。

私はそういう人間がただ好きなのだ。そういう人間がつくるカタチが好きだ。
どうして彼らは敢えてつくるのか。どうして彼らはそのかたちを選ぶのか。どうして彼らは夭折しなければいけないのか(そう考えると太宰はなかなかの長生き)。尽きない興味。
 
 
 
 
 
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ところで、問題が起きた。彼が写っている一枚の写真が好きで、それについて書こうと思ったのだけれど、それがどこにも見当たらない。ないかもしれないものについて書いていいのかと一瞬固まったけど、多分あるので、少なくても私の中にはあるので、それはまぎれもなく太宰の写真である。
 
 
その写真は確か太宰が新婚時代を過ごした甲府のどこかの河川敷で撮影されたモノクロ写真。多分文学仲間が撮影したのだろう、ひどくピンボケしている。すべてがぼんやりと滲んでいる。明確な輪郭線のない、もやの世界。十二分にセンチメンタル。
 
この写真のことを鮮明に覚えているのは、太宰の文学観を象徴的に表しているように思ったから。
写真には太宰以外にたしか誰も映っておらず、フレーム内の80%は川と河川敷。右側から幅広な川がやや急なカーブを描きながら左側へ流れている。幅広の川に架けられた橋が画面を分断している。
 
 
太宰らしき人は橋からやや右側の河川敷に立っている。変なポーズをキメていたかもしれない。何故か真っ白な着物を着ている。柄が飛んでしまっただけかもしれない。
らしき、と書いたのは写真がぼけているので、特徴的な髪型と輪郭とキャプションからきっと太宰だろうと判断しているのだが、もうこの際正確性なぞどうでもいいのだ。

 
彼の特徴として<開かれた>文体が挙げられるが、その声は太宰治という一人の人間の個人的な心情の吐露ではなく、いつもどこか、人間というより大きな存在の根源的な問いかけに聞こえる。これこそ彼が時代を超えて支持されている理由のひとつだと思う。
流れ、交差点にたたずむ、集合的無意識として立ち止まる真っ白な弁、記号としての多分太宰治、という構図がそのまま彼の生の軌跡のように思われた。
 
 
結論、いっさいは過ぎていくものかもしれない。その流れはどこから生まれたのか、誰が作ったのか、誰にももうわからない。
だけど、彼はそのわからないことの答えを生涯を通じて、時に立ち止まったり、時に流れに溺れたりしながら、素朴に求めていたのだろう。そのかたちとしての文学作品。
ひとは、自分は一体何者なのか。素朴に求めることが許される時代に生まれた彼を羨ましく思う。
 
「素朴な感動を忘れてはいけません。最も単純で、しかも最後のものだと思います。」(三田循司への手紙より)
 
あるかわからない写真ではあるが、とても好き。風景と被写体の生きた経験がたまさか一致した素敵な写真だと思う。エピグラムとしての一枚。
 
彼の人生や文学の意義についてもっと詳しくなってこの写真にいつか出会うことがあったら、もっともっと感動するんだろう。太宰治が好きな人には是非この写真を探してみて欲しいです。
 
 
 
 
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しょうもない私の生い立ちが内容のほとんど、太宰のことも、写真に関する専門的知識もないので随分と印象的な文章になってしまった。が、たまにはいいか。
比較するのが畏れ多いが、ロバート・メイプルソープの死に際の肖像写真一枚から一冊を書き上げた多木浩二のすごみを改めて思い出した。
 

 

写真の誘惑

写真の誘惑

 

 

 

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ところで、私は1910-1930年頃のウールの質感フェチなのであるが、太宰の羽織もきっといい風合いだったに違いない。
 
意匠系の生地ばかり触っているせいかもしれない、なんとも言えないレトロなザラつきが好きだ。化繊の、特に福井のトリアセテートのタッチはいいなと素直に思うのだけど、天然繊維をドライタッチに加工したものに対してあまり魅力を感じない。最近の生地の流行がそれで、しかも正直大差ないから飽きているのかも。Emil Cottoni社のヌメってるコットンのほうが断然好き。
 
 
このウールの絶妙な風合いは経年劣化によるものなのか、撚糸や紡績の技術が古い(現代から見て特殊)からなのか、非常に気になっている。
 
今のところ分かっていることは、当時の日本のウールとヨーロッパのウールのタッチにあまり差がないということ。
 
それから、一宮のおっちゃんが「あー、これウールの強撚ネ、できるとこはできるヨォ」と言っていたので、そんなに特殊なものではないらしいということ。実際、目面が荒い、ただの平織。今のウールと比べて異様に重たいので、きっと太番手のウールを適当に梳いて、強く撚って、適当にすかすか織って、着古して時間が立つとこんな具合になるのだと思う。
 
 
 
 
 
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最後に彼の好きな言葉を引用しておく。
前半の「優しさ」云々のほうはきな臭い布教者や手遅れなアラフォーやメンヘラ大学生が好んで引用することで有名ですが、なんと言っても後半部分。
ハニカミ、ためらい、エロティシズムと死。そういば三島由紀夫も「うんこするじゃねえ、排泄するって言えよこの低俗が!」ってどこかで熱弁を奮っていた。
 
 
 
文化と書いて、それに、文化(ハニカミ)といふルビを振る事、大賛成。
 
私は優といふ字を考へます。これは優(すぐ)れるといふ字で、優良可なんていふし、優勝なんていふけど、でも、もう一つ読み方があるでせう?優(やさ)しいとも読みます。さうして、この字をよく見ると、人偏に、憂ふると書いてゐます。
人を憂へる、ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感なこと、これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢやないかしら、さうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞であります。
 
私はハニカミで、われとわが身を食っています。酒でも飲まなきゃ、ものも言へません。そんなところに「文化」の本質があると私は思います。文化が、もしさうだとしたなら、それは弱くて敗けるものです、それでよひと思います。
 
私は自分自身を「滅亡の民」だと思ってゐます。まけてほろびて、その呟きが、私たちの文学じゃないかしらん。
どうして人は、自分を「滅亡」だと言い切れないのかしらん。(河盛好蔵への手紙より。昭和21年4月。)
 

 

 

2014.5.15   修正